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タイトル 院名 氏名
名古屋大学医学部付属病院での    慢性腎不全に対する始めての血液透析 藤田保健衛生大学 腎内科 川島 司郎 15

  名古屋大学医学部付属病院での慢性腎不全に対する始めての血液透析

                                         藤田保健衛生大学 腎内科
                                                   川島 司郎

昭和40年当時、第二内科の第一研究室では、過酸化脂質が動脈硬化や、老化の原因であると
する仮@KN説を実証するために動物実験や臨床実験でTBAや、Vit.C,α-tocopherol,glutathion,
cysteinなどのantioxidanntsを測定していた。しかし、名古屋での医学会総会も終って各先生方の
学位論文も出来、この研究も行き詰りの感があり、方向転換をしようということになった。
皆で色々と考えたが、藤城先生(前名城病院副院長)の提案で腎疾患や、高血圧の臨床的研究を
やろうということになった。その当時、わが国でも始まったばかりの腎生検を名大分院で教えて
頂き、腎炎や、ネフローゼ、腎性高血圧の症例を集め、木曜日の午後には腎・高血圧専門
外来も開いた。腎臓病の患者さんを扱えば、当然、腎不全の患者さんが入院する。いくら、
熱心に保存的治療や、腹膜透析をやっても、結局は、合併症や、尿毒症で亡くなられる。
しかも、腎炎による腎不全は若い人に多く、その両親の悲嘆を見るのは本当に辛いものがあった。
その頃、名大分院では慢性腎不全に対する血液透析が始まっていた。中京病院でも斎藤先生、
太田先生が本格的に取組まれ、その成績がすこぶる良いと聞き、自分たちも、是非、血液透析を
やろうという事になった。

加藤さんという40才ぐらいの慢性腎炎の患者さんが末期腎不全へと進行して血圧が高くなり、
貧血も強くなって心不全傾向や、尿毒症状も現われてきた。なんとか自分たちで血液透析をやり、
治療しようということになり、調べた所、大学の手術室に人工腎があること、また、米国で血液
透析のご経験がある泌尿器科の山内先生が帰国され、在局されていることが判った。
早速、山内先生にご指導をお願いして血液透析を行う事になり、外シャントも作って頂いた。
血液透析のためには、手術と同じく、一週間前に機械の借用と手術室の予約をせねばならない。
これがなかなか厄介である。今も昔も、大学病院で何か新しいことを始めようとすると必ず
看護婦さんが第一関門となる。とくに手術室は難関で内科の医者への風当たりは殊の外厳しく、
腎生検を始めたときに経験済みである。

血液透析機は日本製?のバッチのないタンク式、ダイアライザーは米国製のコルフ型、非常に
高価(2万円?)で医局にお願いして研究用として買って貰った。手術帽、手術着を付け、手袋も
した。まず、透析タンクをきれいに洗い、ダイアライザーをセットし、そこへバケツでお湯を入れ、
透析液原液を加えて攪拌し、タンクの壁に目印として貼ったビニルテープの線までお湯をつぎ足す。
最初に入れたお湯の量が多過ぎると透析液原液が希釈され過ぎるので失敗となり、全部捨てて
最初から作り直す。湯加減も難しく、温度が高過ぎると冷めるまで、低すぎると上がるまで(ヒーターの
性能が悪い)
長時間待たねばならない。とにかく、失敗、失敗の連続で準備だけに1時間半から
2時間掛かった。このコルフ型ダイアライザーはドライタイプで生理食塩水を充填した後にタンク
中央の透析液が噴流する部分にセットする。
プライミングのやり方が悪いためいつまでも静脈側回路へ空気が出てきて随分時間が掛かった。
生理食塩水でのプライミングが終わると輸血用の保存血液200mlを動脈側回路とダイアライザーへ
注入、充填して準備が完了する。

準備が整った所で手術衣に着替えた患者さんがストレッチャーで運ばれ、手術室のベッドに
横たわり、透析が開始される。シャントとその周辺をヨードチンキと次亜塩素酸液で広く消毒後、
穴あきコンプレッセで覆い、血液が充填された回路の動・静脈側と外シャントの動・静脈側を
カメレオン液に入れてあったコネクターチューブで連結し終わると、血液ポンプを始動させ、ゆっくり
慎重に回転数を挙げ、150ml/min. ぐらいの血液量を取った。ヘパリンポンプはなく、時間毎に
注射器で直接、ヘパリンを血液回路に注入した。

限外濾過による除水などという考えはなく、除水はもっぱら透析液の濃度勾配に頼り、腹膜透析に
倣って浸透圧を上げるため透析液にブドウ糖液を追加していた。
このため透析後に体重が増えていた事もあったようである。透析時間がどれぐらい必要かという
指標もなく、分からない事ばかりの不安もあって、透析中、ひっきりなしに患者さんの
バイタルサインをチェックした。午後9時ごろから準備して午前11時頃に透析を始め、部屋の
使用できる午後4時までに終了したので実質の透析時間は3時間ぐらいであっただろう。


透析液のタンク内に実験用の温度計をぶらさげ、温度を測定したが、サーモスタットの感度も、
ヒーターの性能も悪かったので液温度は不安定で、温度が上がり過ぎるとタンクの蓋をとって
団扇であおいだり、氷を入れたビニル袋を透析液の中に入れて温度を下げるなどの工夫をした。
透析終了時の回収も今では考えられないやり方である。ダイアライザーをタンク内にセットした
ままで血液ポンプをゆっくり回し、動脈側の血液回路から生理食塩水を注入、リンスした後、
血液回路の動、静脈側末端部をコッフェルでクレンメして外シャントの動、静脈カテーテルを外し、
生理食塩水で充填してからコネクターで連結した。この操作の後でタンク内からダイアライザーを
外す。ダイアライザーを丸く束ねている外側の紐を切るとビニルの粗い目のメッシュで包まれた
長さ1.6m、幅25cmほどのセロファン製の透析膜(和服の帯びの両端に血液回路のチューブが
ついた形)が出てくる。ダイアライザー内には相当な量の血液が残っているので、動脈回路に
残った血液を膜内に移動させ、透析膜(袋帯び)の端を両手で持って椅子の上に立ち、両手を
高く挙げて残った血液を下、つまり静脈側に移動させ、静脈回路から輸血瓶の中に注入して
ダイアライザーと静脈回路内の残血を回収した。この血液は生理食塩水で希釈されてはいるが
200mlの輸血瓶に2本半以上、つまり500mlほどのプライミング量だったことになる。
回収した血液は冷蔵庫で保存し、次回の透析のプライミングに使った。
血液でプライミングすれば脱血による循環動態への影響が少なく、抗凝古剤のクエン塩酸Naは
アルカリ化剤になり、貧血の改善に役立つのである意味では合理的であるが、感染の危険や、
カリウム、蛋白分解産物の増加した血液を輸血する訳で、今考えると冷や汗ものである。

この患者さんに2週間で3回の血液透析を行ったが3回目の透析では冷や汗が出て頻脈となり
血圧が低下したので慌てて回収、終了してしまった。未熟で中途半端な治療であったため
患者さんの尿毒症状は良くならない。手術室も思うように使えない。医局の研究費で高価な
ダイアライザーを買い続けるのも難しく、結局、その当時、我々より先に血液透析を手掛け、
ある程度の実績もあった大垣市民病院へお願いして患者さんに移って頂いた。

以上が第二内科における血液透析初体験の顛末であるが、どんな事も初めてやる時には思わぬ
苦労や、苦難を伴う。それを一つずつ克服して成功させるにはよほど強固な意志と体力、条件に
恵まれることが必要不可欠である。こうした困難を克服し、血液透析を慢性腎不全の治療法として
確立、発展させた名大分院や、中京病院の先生方は本当に大変だったろうと思う。
その後、第三内科でも6階の病棟に血液透析室を作られ、色々とご苦労されたようである。今また、
名古屋大学病院内に血液透析室が設置されると仄聞するが、未だに血液浄化センターがなく、
専任の医師や、パラメデイカルもいない大病院が多いというのはどういうことなのであろうか。
最後に、この血液透析に取組んだのは藤城、川島、高木(加茂病院に透析室を開設)、
長谷川(豊橋市民病院に)、伊藤健(大垣市民病院に)、町田(陶生病院で)、
河出(中勢総合病院に)の第二内科第一研究室の諸先生であることを付記したい。
                                                  平成11年2月

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