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 20周年記念誌
タイトル 院名 氏名
透析医療と技術停滞 新栄クリニック 岸 常規 18

                      透析医療と技術停滞

                                                 新栄クリニック
                                                    岸 常規

経済の成長・発展は、先取的企業家が、経済・技術の「新機軸」を作り上げることによって、
可能に成ったという意味のことを、ジュンペーターという偉い学者が言ったという事を聞いたことが
ある。
透析医療の曙は、血液透析と言う画期的新技術の医療への導入に始まる。 1960年代後半に、
アメリカで透析医療は生誕した。コルフが開発した技術をスクリブナーらが今日の慢性透析という
医療技術の型に確立した。そして、透析医療が生まれた。それが先進諸国に広がった。 
透析医療は腎不全患者に対する大きな福音となった。腎不全患者は命を救われた。
今日では、30年をこえる延命が可能とも言われている。透析医療の優れた技術は、世界で
何十万人にものぼる腎不全患者の生命を救っている。現代医療の中でも特筆すべき延命技術と
言える。

思い返せば、初期の日本の透析医療の高収益性の源は、この技術の画期的有用性=新機軸性に
あったと言えよう。腎不全という死地からの蘇りを実現できる画期的医療技術だったからである。 
しかし今日では、透析医療は、根本技術の進歩の停滞に苦しんでいる。

初期の透析技術の余りの革新性の故に、今でも初期技術の基本的な枠組をこえられない。
透析室での透析液−透析器−ブラッドアクセス治療系と透析時間という時間・空間の枠を
こえられないし、大量の水を使用し、透析器=ダイアライザーを大量使用するという資源浪費的
技術の枠もこえられない。自動化・小型化・装着型化は実現できていない。もっと言えば、多数の
医療スタッフの共同作業を要する高い人件費という制約をこえられない。医療として省力化できる
技術的前提が革新されていない。

結局、「多くの人力と多くの資源を使用する」という初期の透析技術の成立条件は基本的に何も
変わっていない。確かに、コンピューターによる自動制御に関して、多くの画期的進歩があったし、
透析器についても多くの化学的進歩があった。しかし、あくまで部分改良に止まっている。画期的
新機軸がない。画期的省力化に向けた新たな技術革新は何も起きていない。完全自動化も
できていないし、装着化の夢も実現の見通しは暗い。今となっては他の多く工学的医療技術と
同じく、どちらと言えば、透析医療技術は遅れて停滞した「重厚長大型」の医療技術分野なのでは
ないか、疑いたくなる。アメリカの透析医療の現状の報告を聞くにつけ、透析医療は現代医療の
中の劣等生で、資源浪費的停滞技術と位置づけられているのか、と嘆きたくなる。

ところで、今年、愛知県透析医会は成立20周年を迎えるという。喜ばしいことである。
私自身を振り返ってみるに、自分自身、透析医療との関わりの中で、この20年を過ごしてきた。
透析医療の周辺で禄を飯できたといってよい。今でも透析医療は、私にとって掛け替えのない
医療現場である。 しかし今日本の透析医療の現場を見るに、不吉な予感がする。
今の日本の行政府は、アメリカに学びながら、将来の医療制度を築こうとしているかに見える。
今日の大不況といわれる厳しい経済状態を見るに、今後ますます総医療費の削減が進み、
医療体制の経済的効率性の追求が厳しくなるだろう。従来、省力化・合理化には比較的
強かった透析医療も苦しくなってくる。年間、1万人以上増加しつつある透析患者を救わねば
ならない。しかしその為の余分な金は行政府は出してくれない。
1人の透析患者にかかる費用を節約して賄いなさいが、今までの行政の指導であったし、
今後はますますそうであろう。透析医療のような「高額な慢性医療」はコスト削減の格好の
対象になる。現場は辛い状況である。

経済史的にみれば、停滞型技術の元での経済効率性の追求は現場の労働者に過酷な労働を
強いることになる。単純に言えば、昔風の「合理化」である。単なる経済効率のために透析患者
1人当たりの職員数を削減する。もっと言えば、透析患者1人当たりの人件費を削減する。当然、
同一技術水準下では労働は強化される。労働密度が上がる。
マルクス主義ではこの種の労働強化を「搾取」といった。このタイプの経済効率の追求は、患者に
とっても、職員にとっても、幸せなものではない。結果として医療の質は悪化する。
過去20年を経て、透析医療は、省力化に向けての画期的新機軸のないまま、ジリジリと
経済的に割の合わない、収益性の低い医療に成りつつあるかに見える。資本主義の宿命か。
何故か、現在の日本経済を髣髴させる。思えば、この20年を振り返って、透析医療の歴史は
技術の停滞の中で、効率性の追求と費用削減を運命ずけられた歴史だった。
部分的な技術革新もあった。しかし、技術の基本的な枠組みは停滞している。そのなかで、
これ以上無理な経済効率を追求すれば、ベット効率を追求するとか、透析器の再使用とか、
無資格職員の動員とか医療内容にとって悪いことしか出てこない。 
経済大不況の中で、日本がアメリカの二の舞になってはいけない。しかし経済の事は
医療の側ではなんともできない。

結局、透析の創生期をみてきた我々が、これからの透析医療の暗い運命を担わなければ
ならない。省力化の流れの中で、苦しくても患者さんと透析医療の質の維持ためベストを
つくす。これが、当初から透析医療に関わってきた我々の使命と諦念するしかない。

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