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20周年記念誌 |
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古都騒然ー忸怩たる思い |
新生会 第一病院 |
小川 洋史 |
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古都騒然ー忸怩たる思い
新生会 第一病院 小川 洋史
先日、京都で降り、駅を散策した。昔の駅と随分変わってしまった。大きくなり豪華になった。
また機能的にもなったのだろう。多くの乗客、観光客をさばくのに好都合にできているのであろう。
しかし、ホッとする安堵感はない。建築物は、その国なり、地方の文化を表現するものであると
思うと、全く、文化の香りはしない。京都という文化には全く相容れない代物だと思う。まだ、
東京駅のほうが、何か落ち着いて安堵感がある。戦災で焼け、上層部が建築当時と変わって
いるが、建築された当初のオリジナルのほうがさらによい。エッフェル塔も建った当時は、物議を
かもしたというが、この京都駅のほうは、100年経っても相容れないと思う。既に以前より存在する
京都タワーも、いくらロウソクに似たデザインとはいえ、これもミス・マッチと、私は思う。
人は、常に、ホッとする場を求めるものだと思う。テレビで「そうだ、京都へ行こう。JR東海」という
CMがあるが、そこには京都駅は出てこない。大覚寺、曼殊院など、私にとって行ってみたいと思う
所の風景がテレビ画面に出てくる。JR東海もこの辺のことをよく理解している。しかし、あのような
京都駅を作った。堂々と一度、京都駅をあのCMに使ってみてはどうだろう。果たして人はCMを見て
京都に魅了されるであろうか。
イタリアのフィレンツェは、古い歴史のある街だが、地上からでもジォットゥの鐘桜に登ってみても、
屋根も壁も、全体として調和していて、見ていても飽きない。そして異文化ながら共鳴もし、一種の
安堵感を覚える。もっとも、フィレンツェのバイクや車の騒音と排気ガスには閉口したが…
ここでは、建物と文化について考えてみたが、人の感性に訴え、共鳴できるものは、異文化の
所産でも共鳴できる。この辺で、日本の文化とは何かと、もっと自由な眼で、他と比較しながら、
日本人全体が考えてみてはどうだろうか。環境についても… |
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