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 20周年記念誌
タイトル 院名 氏名
藤田保健衛生大学腎センター           20年のあゆみ概要 藤田保健衛生大学 腎内科 川島 司郎 16

             藤田保健衛生大学腎センター20年のあゆみ概要

                                         藤田保健衛生大学 腎内科
                                                   川島 司郎

47年8月に名古屋大学第二内科から名古屋保健衛生大学に赴任したが、病院は開設されて
間もなく病床数は250床ほど、内科は循環器、血液、消化器などの患者がすべて1号病棟8階の
内科病棟に入院していた。腎臓病は腎炎、ネフローゼの患者が3〜4人いる程度であったが
その内に透析が必要な患者が出るようになった。
本学での透析第一号は糖尿病腎症で大量の浮腫、腹水が貯留し、溢水を来した患者さんで
あった。当時、内科で研修していた水野雅夫先生(現みずのクリニック院長)に手伝って貰って
間欠式腹膜透析をやったが、これが小生と水野君とのそもそもの出会いで、先生の透析第一号でも
あり、生涯の仕事を決める出来事ともなった。初めて血液透析を行ったのは膠原病内科患者さんで
ループス腎炎でネフローゼ、腎不全に陥り、強い浮腫、胸腹水があり、尿毒症状もあってまったく
食べれない状態の中学1年の神谷君であった。
IPDで導入、状態が改善した所で、腕も細いが血管も細い左前碗に泌尿器科の藤田講師
(現名古屋記念病院副院長)に外シャントを作って頂き、血液透析を開始した。
神谷君は、その後、SLEの再燃もなく、通院透析を続けたが碧南ク リニックの開設を機に転医し、
現在も元気に通院している。

この時の血液透析は、大学にたった1台あったタンクバッチ方式の個人用血液透析機(TM―101)
使った。水野君と二人でバケツでお湯を汲んで透析液を作り、ホローファイバー透析器の透析液
側に充填されたグリセオールを洗い流し、さらにハァイバー内のフォルマリン液も生理食塩水で
洗い流した後にプライミングをしたが、うっかりするとファイバー内に空気が残り、やり直しては時間と
生理食塩水を随分無駄にした。このタンク式個人用血液透析機で透析を行うと血液から除去された
物質によってタンク内の透析液が次第に濁り、除水された分だけ水位が上昇する。
血液浄化をやっている事を実感させる機械で、今でも、この機械で透析をやって見せたら
医学生や、パラメデイカルの教育、訓練に大いに役立つと思う。

昭和
その後、腎不全患者が増え、昭和53年8月、1号棟8階の内科病棟の小さな処置室に個人用
透析機3台を置いて透析を始めた。その当時に導入した患者さんはいずれも健在で、本院や、
水野クリニック、知立クリニックに通院されている。 昭和53年12月中旬に2号棟4階にCCUの
集中治療室と隣り合わせで正式に腎センターが設置された。維持透析患者は少ないが急性
腎不全の出張透析が多かったため、コンパクトで、シングルニードル装置も備えたガンブロの
個人用透析機AK―10、6台でスタートし、その後、10台まで増床した。
術後急性腎不全の緊急透析が多く(フロセミドと抗生物質のせいもある)、休日も、深夜もなく
透析をやっていた。
昭和54年の暮れも、翌年の55年の暮れも、緊急の血液透析のため大晦日から正月にかけて
仕事をしたが、出前をして貰えないので家から持ってきた御節料理を食べて新年を迎えたとも
忘れられない。

その後、大学病院は大増床時代を迎え、病棟の整備のため腎センターも4回の引っ越しを
余儀無くされた。昭和63年6月、2号棟9階に腎内科病棟とともに腎センターが置かれ、漸く流浪の
旅は終った。病院開設以来、一貫して看護婦さん不足に悩まされ、腎センターのスタッフは
臨床検査技師が中心となってきたが、忙しい時には小生も透析の開始や回収を手伝った。
その後、本学短大に臨床工学士の専攻科が設置され、現在は臨床検査技師の資格を持った
工学士9名(男4名、女5名)が血液浄化業務に従事している。皆非常に熱心、かつ有能で、
臨床工学士としての本領を十分に発揮し、活躍している。

現在、血液透析機22台、血漿交換専用機2台、個人用血液透析機4台、月水金は2サイクルで
総計58名の治療を行っている。手術や、検査目的、あるいは重症合併症で他科へ入院した
透析患者さんが多く、最近はブーメラン現象が顕著になった。ブーメラン現象とは本院で透析
導入し、他施設へ移った患者さんが色々な原因で戻ってくることであるが、本院腎センターの
歴史が長くなった事と患者の高齢化、重症化、などが関係し、この現象は今後益々強まるで
あろう。

一方、通院透析患者さんも、糖尿病はもちろんのこと低肺機能、原発性や続発性アミロイド
シース、重度の心筋障害、大動脈瘤、MDSなどの重い合併症を持っている。若くて合併症が
なく、健康?な患者さんが少ないので管理に手が掛かり、臨床研究や、治験にも困るというのが
実情である。
しかし、透析療法とその周辺医療の進歩により高齢で合併症のある患者さんでもそれなりに
生活をエンジョイしておられるのを見ると、透析療法は20世紀に開発された治療の中でも最も
成功したものの一つと言って良いと思う。マスコミなどではとかく透析療法は辛く、苦しいものだと
いうステレ オタイプの報道が定着している。さまざまな制約や、合併症があるのは確かであるが、
しかし、実際には、患者さんも,ときには週末にフランス料理や中国料理を味わい、ビールや、
ワインを楽しんでおられ、国内、国外の旅行に出掛ける方も多い。
一般の人はもちろん、透析医以外は同じ医者仲間にも透析医療の実態についてほとんど
知られていないのではなかろうか。医療への制約が厳しくなる中で高齢者がふえ、患者さんにも、
家族にも、また医療者にもさまざまな形で負担がふえる中で、今後もより良い医療を続けるには、
社会の皆さんに透析医療の光と影について十分、理解して貰うことがどうしても必要であろう。
                                                  平成11年2月

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