トップページ

ご案内
会長挨拶
日本透析医会便り
会則
20周年記念誌
関連団体
入会案内
厚生労働省からのお知らせ
会員施設

情報コーナー
HUS対応可能医療機関
県民相談コーナー

災害情報ネットワーク

会員専用
お知らせ
会員一覧
保険請求について


 20周年記念誌
タイトル 院名 氏名
透析専門医の一言 社会保険中京病院 透析療法科 天野 泉 8

透析専門医の一言

社会保険中京病院 透析療法科 天野 泉

 透析歴も30年を越える人がポツポツ出つつある。彼等は元気いっぱいの状態であるのか? 現実は満足に普通歩行の出来る人は少ないようである。今までの透析療法更には、投薬、食事指導など、これらを提供し続けてきた我々透析医療従事者側にとって反省が全くないといえば嘘になる。だからといって決して努力を怠ったわけでもないという自負もある。正直に言えば、あまりにも未知な透析医療という道を一生懸命歩んできたという感じである。
 そしてその過程で、どれほどの透析患者にどの程度まで貢献できたのか自分でも全く分からないほど無我夢中であったといえる。先だって透析歴30年の方が、いみじくもこう発言された。「この30年一生懸命生きてきたが何もいいことがなかった」と。極めて厳しい一言であった。全ての方々がこの考え方に同調されるわけではないと思うが、私自身はこの時、強烈な衝撃を受け、自身の無力感を痛切に感じざるを得なかった。自分は透析医療の専門医を名乗っている。しかし、専門医とはなんぞやと自問してみると、答えはひとつである。透析患者と共にこの30年歩んできたということである。このこと以外に回答が出来るものは何もない。まさにこの一言につきる。透析患者を乗せたジャンボジェット機のパイロットでありながら、管制塔との連絡が途絶えることが頻繁にある。そんな時の心境は、自分で何とか航路を切り開いて行かねばならないというパイオニア精神のようなカッコよいものではなく、むしろ、筆絶しがたいほど不安感を抱いて操縦することもあった。すなわち、あまりにも未知、未認識のことがらが山積みしていたからである。このことは、裏を返せば次のようなことにも言える。透析患者の状態が悪化し、いろいろ治療を施してもうまくゆかない時、ある医師はこう述べることがある。「現代医療のノウハウを全て出しつくした。もはやこれ以上手の施しようがない」と。しかし、透析専門医にとって、この言葉は医師の自己弁護のための弁解のようなものとしか聞こえない。透析領域においては、治療の常識は必ずしも常識とはなりえないということを透析専門医はよく知っているからである。この認識こそが、透析医としてのライセンスの中味そのものであると思っている。医療の発展は、一時期は感動を呼ぶほどの時期的進歩があっても、その後は、停滞、足踏みをよぎなくされる時期が長く続くこともある。しかしこういう時期こそ大切にして地味ではあっても、おのおのの問題点を詳細に吟味する必要があろう。何よりも種々のヒントは患者が透析医に教えてくれるわけである。患者から教えられつつ、我々透析医は常に猛勉強せねばならないのである。この厳しい医療情勢のなかで透析医に求められているものは、何たるかを考えるにはいまはいい時期かも知れない。


COPYRIGHT(C)2010 愛知県透析医会 ALL RIGHTS RESERVED.