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日本透析医会の設立は愛知県透析医会から 医療法人 名古屋記念財団 会長 太田 和宏 2

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            日本透析医会の設立は愛知県透析医会から

                              医療法人 名古屋記念財団 会長 太田 和宏

●1970年当時の背景
1970年当時日本の透析医療はまさに急上昇中であった。日本の経済的な背景も第一次オイル
ショックを切り抜け、良好な伸びを示していた。愛知県の透析仲間達は、既に、1971年に
財団法人愛知県腎不全対策協会(現財団法人愛知腎臓財団)を設立していた。
透析医療を地域社会の医療ととらえて、その普及を行うと共に、技術的研究や研鑽を行い、
技術水準を当時の世界では最高の水準を保つことに成功していた。

一方、若い医師達が透析センターを開業することも多く、その治療が高価格であるが故に、
高額所得者になる人も続出した。個人開業であるためにその所得は個人所得とみなされ、
ほとんどが税金にもっていかれるのであるが、そのためもあって高級車をのりまわすなど、
一般開業医からみると、はでだと思われる側面も出てきた。
保険の請求の面においても、ダイアライザーの納入価格もばらばらで、行う臨床検査も
不揃いであり、保険の審査員からはその差が理解できない程の状態であった。
透析医療は新しい医療であり、ほとんどが若手の医師で行われていたため、医師として
医師仲間である医師会への発言力はなく、内情を説明する手段すら持ち合わせて いなかった。

透析医療が他の開業医の仲間からねたみを買う存在となり、さらにその内情が医師仲間に
理解されていない、といった状況の時に何が起こるかは当然予想できることであった。

私は、愛知県腎不全対策協会の常務理事太田裕祥先生の了解のもとに、医師の団体である
愛知県透析医会を設立し、自ら保険請求の適正化を行うと共に、その意見を集約し、
医師会や保険の審査会に反映させることを提案した。
幸い皆の賛同を得て、愛知県医師会の理事をされていた成田眞康先生を会長として、
愛知県透析医会が発足したのである。

守山友愛病院の長谷川辰寿先生や、当時白揚会病院の理事長をされていた安田文二先生らが
機関紙を担当され、その影響は全国に及ぶこととなった。
愛知県では、財団法人愛知県腎不全対策協会と愛知県透析医会の両輪ができ、地域社会の
医療として当時理想的なかたちとしてのいわゆる愛知県システムが完成したといってよい。


●日本透析医会の設立
愛知県におけるような状態は全国レベルで起こっており、透析センターを開業する医師達は
他の医師会員から快く思われていないケースが出てきた。また、仲間としても、とりわけ
ダイアライザーの請求価格などについては、我々からみても目にあまることもあり、このままでは
大変なことが起こると予感するものがあった。

そこで、愛知県透析医会が呼びかけ人となり、各県に透析医会を設立、都道府県連合会のもとに
都道府県連合会のもとに全国の仲間を結集し、日本透析医会を設立する運動を展開することとなった。

1981年、厚生省は突如透析技術料を50%近く引き下げた。
このような急激な医療費の引き下げを行った例は過去になく、新設の透析センターの仲間は、
運転資金に大変な困難を来すこととなった。単年度会計の経験しかない官僚組織が、
企業会計を行っている透析センターの経営を理解しえなかったところに問題があると考えられた。
このような事態は全国の透析仲間に危機感を与え、日本透析医会の設立が切実なものとして
認識されるようになった。

日本透析医会の設立にあたっては、その動機が一種の圧力団体としてとらえやすいこともあり、
その設立に大変苦労したのであるが 、これについてはまた別の機会に述べることもあろう。
とにかく、稲生綱政名誉教授を会長に、新潟の平澤由平先生を副会長に、常務理事に
社会保険中京病院の太田裕祥院長に、1987年日本透析医会が設立された。
設立前後の広報活動を愛知県透析医会を一手に引き受け、その編集を安田文二先生が担当され、
その機関紙は学会誌と異なって、まさに仲間の機関紙であり、いろいろな意味で全国の透析医を
結集させた力は大きかった。

厚生大臣認可団体である社団法人日本透析医会は、それ以降厚生省とも密着して情報交換し、
現在の安定した透析医療を営々として守ってきた。その中で、増子記念病院の山崎親雄先生の
果たした役割は非常に大きいものがある。


●今後の発展を願って
日本透析医会は、おそらく将来非常にすぐれた社会医療システムをつくった職能団体として
歴史的に評価される時期がくると信じている。
愛知県の透析医療、とくに保険の分野及び医師会との関係に関しては、歴代の会長である
成田記念病院の成田眞康先生、知立クリニックの鈴木信夫先生が果たされた役割は大きい。

透析医療は、地域医療システムの上に成り立つ医療であるということを、私が個人的に
認識したのは1967年である。それ以降の日本の医療の流れをみると、まさにシステムの上では、

透析医療が他の医療を引っ張ってきたとも言える、先進性に富んだものであり、我々透析医は
そのことを誇りに思っていいと考える。
愛知県透析医会は、その中核をなす団体として、これからも発展し続けてほしいと願うものである。

                                                     以上

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